『 つゆのあとさき ― (1) ― 』
この地にやってきたのはまだ春も浅い時期だった。
<以前>には全く縁もゆかりもない国 ・・・ 不安がない、などと言えるわけはない。
一応、それまでも短い期間ではあったが滞在していた経験はあった。
しかし これからずっと暮してゆくとなると ある意味覚悟が必要だ。
― そうね。 まずは ・・・ ボンジュール というところかしら。
車から降りて 新しい家を、土地を見回して フランソワーズは自然と頬が緩んだ。
気候は温暖、眺望は最高・・・と 環境はかなり辺鄙な場所ということもあるが抜群だった。
海からの風が 優しく亜麻色の髪を揺らす。
太陽は ほぼ中天にかかっており、穏やかな光を辺りいっぱいに撒き散らしていた。
ふうん ・・・ ステキ ・・・!
この空気と この風景 ・・・ いいなあ ・・・
ふふふ ・・・ わたし 結構ここが気に入ったわ〜
フランソワーズは空を仰ぎ 大きく深呼吸した。 ― 空気がほんの少し 甘い。
ん ・・・? この空気 ・・・ なんだか懐かしい けど ・・・
・・・ 春 ・・? ああ もう春なのね・・・!
強張っていた頬が ほんのすこしほころんだ。
春 ・・・ か。 今まで 季節なんて気にしている余裕はなかった。
ふと 視線を落とし、足元の淡い緑に心が震えた。
ああ ・・・ こんなことにも 心が動くのね・・・
・・・ 風や緑や ・・・ 陽の光に 心が動くのだわ・・・
見知らぬ土地にも 少し親近感が湧いてきた。
― それでも やはり本格的に <住む> となると 不安な面もある。
今まではざわざわと大所帯だったが 今日からは < 家族 > だけ ・・・
< 家族 > ・・・ 括弧つきの 家族 だけれど。
「 お〜い。 フランソワーズ。 こっちだよ〜 」
門の前で 茶髪の青年が手を振っている。
彼の後ろには白髪白髭の老人が 赤ん坊を抱いて立っていた。
「 ― 今 行きます ・・・ 」
彼女は 再び少しばかり緊張した面持ちにもどり、目の前の洋館に足を向けた。
― 今日から ここが <我が家> ・・・
「 ねえ ねえ・・・ 知ってた? 岬のところに大きな木が一本あるの。
あれは何の木なのかなあ・・・ モミの木みたいにチクチクした葉っぱなんだけど・・・ 」
「 岬に? ・・・ ああ あれは一本松さ。 」
「 いっぽんまつ? ふうん ・・・ そういう名前なの。 」
「 いや ぼくが勝手につけた名前だけど ・・・ 」
「 そうなの? じゃ やっぱりモミの木の一種なの? 」
「 松、 という木さ。 」
「 マツ ・・・ この国じゃ あの木をクリスマスに使うの? 」
「 は??? 」
「 だからね、 あの木がこの国のクリスマス・ツリーなの? 」
「 ・・・ 松は ・・・ クリスマス・ツリーじゃないよ。 」
「 あら そうなの? それじゃ マツはなにに使う木なの。 」
「 ・・・ さ さあ ・・・?? 」
「 ニホンジンはマツが好きなの? 岬から見下ろしたら海岸線の少し入ったところには
ず〜〜っとあのチクチクした葉っぱの木が植わっていたわ。 」
「 知らないよ、そんなこと。 」
同居している青年は この国に生まれ育ったはずなのだが・・・ 自国のことにはひどく疎かった。
・・・ ヘンなひと。 本当に ニホンジン なの??
茶髪の横顔をしげしげと見つめてしまった。
視線を感じたのだろう、彼は長い前髪の下に表情を隠してしまった。
・・・ ホントにヘんなひと ・・・ なんでいちいち赤くなるの?
いくら隠しても ・・・ 真っ赤なほっぺたはちゃんと見えてしまった・・・
ぎくしゃくしつつも 彼らの日々の暮らしはなんとか軌道に乗り始めた。
老人と眠ってばかりいる赤ん坊、 亜麻色の髪の乙女 そして 茶髪の青年・・・
誰もが戸惑いつつ 遠慮がちに どきどきして < 家族 > になろうとしていた。
「 ねえねえ ・・・ 見て? ほら・・・ タンポポ。 もう咲いていたのよ〜 」
彼女は数輪、ハンカチで根元を包んだものを見せた。
「 ・・・ 採らないでそのままにして置けば・・・ 」
「 え だって春のお裾分け、いいでしょう?
海岸の方にね、窪地があって ・・・ た〜〜くさん咲いていたの。 」
「 ・・・ ふうん ・・・ タンポポなんてそこらへんにでも咲くよ。 道路の端でもさ ・・・ 」
「 でもね、 これは今年一番初めのタンポポなの。
なんか ・・・イイコト、ありそうじゃない? 金貨みたいね、キラキラ ・・・ 」
「 タンポポなんて雑草だよ。 」
「 ・・・・ もう ・・・ ! 」
「 ・・・え ・・? 」
― 一体 何を怒っているのか・・? 彼は目をぱちくりしているばかり。
「 ねえねえ ジョー! 知ってた?? とてもいい香りの花が咲く樹をみつけたの。
白い小さな花がね たくさん ・・・ あれが サクラなの? 」
「 あ〜 ・・・? まだサクラの時期じゃない かも・・・ 」
「 そうなの? それじゃあの花は なあに? 」
「 ・・・ さ さあ・・・・? 」
「 香りがよい花とな・・・ おそらく梅じゃろう。 サクラよりも早く咲くそうじゃ 」
博士が助け舟を出してくれた。
「 まあ ウメ・・・ というのです? とてもよい香りでしたわ ・・・ 」
「 あの木の実をいろいろと利用するらしい。 」
「 そうなんですか! それじゃ・・・ 実がなったら採って来ましょう。 どんな味かしら・・・
ねえ ジョー。 ウメの実って甘いの? 」
「 え? なに。 」
「 ( もう〜〜〜 ) だからね ウメ。 ウメの実は美味しい? 」
「 ウメ? ・・・ ああ ウメボシにしたり梅酒とかにするんだ。 」
「 お酒? ふうん・・・ ワインみたいなのね、きっと。 それじゃ 実が生るのを
楽しみにしましょう。 ねえ ジョー デザートにしましょう? ころん、としてて可愛いわ。 」
「 ・・・え? ・・・ 生では食べられないよ。 猛毒なんだ。 」
「 え!? そうなの?? 」
「 うん。 生で食べたらダメだよ。 」
「 まあ ・・・ そんな大切なこと、早く言ってちょうだい! 」
「 ・・・ はあ ・・・? 」
ぷんぷん怒っている彼女に ジョーはなにがなんだか・・・・? の顔だ。
「 桜! 桜が咲いたよ〜〜 ねえ 皆で花見に行こうよ! 」
珍しくジョーが <家族> を誘っている。
「 ハナミ? それはなあに。 」
「 え・・・ あの ・・・ う〜んと、食べ物や飲み物もっていってさ
桜の木の下で皆で飲んだり食べたりするんだ。 」
「あら ピクニックなの? 楽しそうねえ・・・ サンドイッチにデザート持ってゆきましょう。
カフェ・オ・レ もいいわね。 そうそうシフォン・ケーキも焼こうかしら。 」
「 ・・・あ あ うん ・・・ 」
ジョーは微妙な顔をしている。
「 あら ジョー、ケーキ 嫌い? 」
「 あ う ううん ううん! 大好きだよ。 ・・・ 特にきみのケーキは大好きさ! 」
「 あら嬉しい・・ それじゃ今日のお昼は皆で <ハナミ> をしましょ・・・
わあ いいお天気ねえ ・・・ ふんふんふん〜♪ 」
「 ・・・ あ う うん ・・・・ 」
岬の家に住み始めた年、 <家族> は桜の花をながめつつ、
サンドイッチにカフェ・オ・レ、そしてケーキにクリーム・・・と優雅にお茶を楽しんだ。
・・・ 唯一の地元民は かなり微妙〜な顔をしていたけれど・・・
この地域は温暖な気候なので カレンダーが告げる季節に先駆けて新芽が顔をだし花々が咲く。
新しい発見をするたびに フランソワーズは大喜びで皆に報告する。
「 ・・・ ふうん ・・・ そうか ・・・ 」
「 え? なあに、 ジョー。 」
「 あ ・・・ ウン・・・ ごめん、なんでもないよ。 」
碧い瞳にじっと見つめられて ジョーはもごもごと口篭る。
「 なんでもない、はイヤよ。 ねえ なあに? 」
「 あ ・・・ あの ・・・ きみがさ〜 花とか海のこととか ・・・ 楽しそうに報告するだろ 」
「 そうね だってすごく楽しいじゃない?
毎日身の回りの景色が変わってゆくのってステキだわ〜 」
「 ・・・ うん そっか ・・・そんな風に思えるって・・・いいねえ。 」
「 あら・・・ ジョーは楽しくないの? 」
「 ぼく さ。 花が咲くのを見て楽しい・・・とか思うのって 今まで知らなかったから ・・・
皆で見るのって 楽しいんだね。 」
「 でしょ? 花も海も ここはとってもキレイだし。 皆で ―そのう・・・家族で眺めれば
もっとステキで楽しいわ。 」
「 ん。 そうだね。 」
何気ない笑みにジョーもつられて自然に笑うことができた。
「 うん ・・・そっか ・・・そうだよね。 皆で見れば楽しいよねえ・・・ 」
彼は今更のように ちらちらと咲き乱れる花を眺めていた。
「 ・・・ なんか ちょっと変わってるわねえ・・・ このヒト ・・・ 」
フランスワーズは こそっと心の中でつぶやいた。
花の季節はどんどん進み 邸周辺の緑も日毎に濃くなってゆく。
「 ただいま ・・・ ああ暑かった・・・ ねえ もう夏みたい! 」
フランソワーズは 買い物袋をおくと ハンカチで汗を拭っている。
「 まだ春だっていうのに・・・・ ねえ いつもこんなに暑いの? この国の五月って・・・ 」
「 ああ うん・・・五月の後半ってちょっと夏っぽいんだ。 」
「 夏?? ・・・ふうん ・・・ 五月はもう夏なの? この国は季節が速く進むのかしら。
それって インドシナなんかと同じ気候じゃない? 」
「 五月は初夏だよ。 日本の本当の夏は7月くらいからさ。 」
「 ・・・ よくわからないけど ・・・ このまま夏になるわけじゃあないのね? 」
「 うん。 」
ジョーはぼそ・・・っと答えると 広げていた雑誌に視線を戻してしまった。
あら・・・ ふうん この話題には興味はありませんってこと?
フランソワーズはちょっと膨れっ面になった。
・・・ ま しょうがない か。 これが彼の意思表示なのよね〜
「 ねえ ・・・ ちょっと手伝って?
買出しの荷物、 キッチンまで運んで欲しいの。 」
「 ・・・え ぼくが? 」
「 重いのよ〜〜 ・・・ これ ほとんど全部食料なんですもん。 」
「 ・・・ わかったよ。 」
仕方ないな、という顔で彼はソファから立ち上がる。
リビングの入り口には沢山のレジ袋が並んでいた。
「 え〜と・・? これと これ? あとは? 」
「 後ね、 玄関のキャリーバックの中にお水の箱。 」
「 ・・・え 水?? 水って ・・・ 何の? 」
「 ?? 何の・・・って。 普通に飲むとかお料理に使うとか・・・ のお水よ。 」
「 え。 そんなの、わざわざ買ってるのかい?? 」
「 ― ええ。 南あ〇ぷすの天然水♪ これ 美味しいわねえ〜〜 すごく気に入ったの。
アルプスって スイスから輸入しているの? 」
「 ・・・ はあ?? 」
ジョーは目を白黒 ・・・ フランソワーズも疑問符だらけの面持ちだった。
― こぽこぽこぽ ・・・ いい香りの湯気がリビングの天井へ立ち昇る。
「 ・・・ふうん ・・・ この国じゃお水は買わなくていいの・・・ 」
「 いや ・・・ 水道料金 払ってるし、ミネラル・ウオーター、使う人もいるけど・・・
この辺りの水は美味しいから水道の水、 そのまま飲んだり料理に使えるよ。 」
「 ええ さっき飲んでみてわかったわ。 本当に美味しい・・・
お茶やコーヒーを淹れても美味しいわあ 〜〜 」
「 ほんになあ・・・ この国は水が豊かな地じゃのう・・・ 」
「 でもねえ それなのにわざわざ外国からお水を輸入しているのね〜 」
「 あ ミネラル・ウォーター とかはさ、<飲み物>ってカンジだし・・・
料理には使わないよ。 」
「 え? だって 南あ〇ぷすの水 ってず〜っと買っていたのよ?
それにね 結構売れていたわ。 外国に水でも人気があるんだな〜って・・・ 」
「 ああ アレはこの国の水さ。 」
「 ?? 」
噛み合わないハナシは 博士がこの国の地図を示してやっと解決した。
夜のお茶タイム は和やかに終わり <家族> は また少し・・・ホンモノっぽくなった。
「 ふんふんふん 〜〜♪ 夜になると 涼しいわね〜〜 」
窓を大きく開けて フランソワーズはご機嫌である。
「 ねえ? 六月もこんなお天気なの? 」
「 あ う〜ん ・・・ もうちょっと暑い・・蒸し暑いかな〜 」
「 そう? 夏が近いんですものね。 わたし、六月、大好きなの。
パリではねえ、いろんなお花が咲いて ・・・ 公園とかとってもキレイなのよ。 」
「 へえ ・・・ あ そうだ、水ってばさ え〇あん ってきみの国のだろ?
コンビニとかでも売っているよ。 」
「 まあ 本当?? ・・・ そうね〜 でもここのお水も美味しいから・・・水道の水でいいわ。
お買い物が軽くなって嬉しいわ〜〜 」
「 ・・・ あの。 買い物 ・・・ 荷物持ち、するから。 重いモノとか嵩張るヤツとか。
買出しに行くとき、 声をかけてくれよ。 」
「 ありがとう〜〜♪ それじゃ ひとつお願いがあるの。 」
「 なに? 」
「 あの ね。 スーパー以外にも行って見たいの。
ほら ・・・ 国道の向こうにず〜っとお店が並んでいる所があるでしょ。 」
「 ・・・ ああ 地元の商店街があるよね。 」
「 しょうてんがい というの? あそこでも買い物してみたい。 一緒に行きましょうよ。 」
「 でも不便だよ? スーパーの方が一箇所でいろいろ・・・食材も日用品も買えて
便利だろ? カートを押して一周すればそれで済む。 」
「 え ・・・ でもね、お買い物っていろいろ・あれこれ見て楽しみたいじゃない?
小さなお店でも専門店ばかりなのでしょう? 」
「 専門店 ・・・と言えば言えるけど・・・ 野菜オンリー とか 魚のみ、とかね。 」
「 ステキ ステキ〜〜 この国のお野菜って初めて見るのが沢山あるから
お料理の方法とか知りたいの。 お店のヒトなら判るでしょ? 」
「 ・・・え あ まあ ・・・ ね 」
「 それにね〜〜 お魚! スーパーにもいろいろな種類があったでしょう?
きっと専門店にはもっといっぱいあると思うのね。 」
「 ・・・ 魚 ・・・ なんて食べるのかい、フランス人は。 」
「 まあ! 失礼ねえ ジョー。 フランスではね、お魚料理は沢山あるのよ?
ムニエル とか ブイヤベース とか 美味しいんだから。 」
「 ・・・ む・・・ なんて た 食べたこと ないし ・・・ 」
「 あら! そうなの? それじゃ わたしがお料理しますから。
是非是非 しょうてんがい のお店につれていって頂戴ね! 」
「 ・・・う ん ・・・ わかった ・・・ 」
微妙な顔をしてるジョーとは正反対に フランソワーズはウキウキしている。
見かねたのか、博士がまた助け舟を出してくれた。
「 ジョーよ、すまんが・・・案内してやってくれるかのう・・・・
まだまだワシらは地元には馴染んでおらんから・・・ 」
「 あ・・・ 博士・・ はい 勿論ですよ。
ふ フランソワーズ ・・・それじゃ 今度商店街に買い物に行こう。 」
もともと <買い物> などには興味はなく、 必要に迫られスーパーで済ませる・・・
そんな生活を送っていたジョーには 全てが目を丸くすることばかりだった。
へえ ・・・ ガイジンさんって 妙なことに興味を持つんだなあ・・・
女の子ってどうしてそんなに買い物が好きなんだ・・・?
「 わあ 嬉しい♪ ありがとう、ジョー。
ふんふんふん〜〜 ねえ? ついでにこの付近でステキなカフェとか ・・・ 教えて? 」
「 ・・・ カ カフェ?? 」
「 そうよ。 この前ねえ TVで見たの。 日本にもオープン・カフェがいっぱいあるのね。 」
「 ・・・ そ そうなんだ? 」
おーぷん・かふぇ? ・・・って そんなもん、この田舎にあるかよ??
どうせ都心の はらじゅく とか おもてさんどう とか なんだろ?
「 あ〜〜 なんかとっても楽しみだわ。 ねえ ジョー? 」
「 ・・・ あ ああ うん ・・・ 」
「 フランソワーズ、 よかったのう。 ワシも散歩がてら地元を探索してみるよ。 」
「 そうですよね、博士。 せっかくこんなステキな場所に住んでいるのですもの。 」
何気に盛り上がっている <家族> を見つつ ・・・ ジョーはかえって距離感を持ってしまった。
彼は今まで 買い物を楽しむ とか カフェで寛ぐ とか いうこととは無縁だったから・・・
・・・ やっぱり ・・・ < 違う > のかな ・・・
五月晴れの日が続き 岬の突端の洋館にはからり、と爽快な風が吹きぬける日々だった。
微妙な顔の茶髪青年をヨソに <家族> は快適に暮している。
「 ああ いい気持ち♪ ねえ ジョー、もうすぐ六月よね〜 」
「 あ ・・・ うん ・・・ 」
相変わらず茶髪青年は曖昧な返事をする。 彼女はもう大して気にしていない。
「 ふふふ ・・・ わたしねえ 六月が大好きなの。 ジョーは? 」
「 え・・・ ぼく? さあ ・・・ ? 」
「 さあ・・って 好きじゃないの? 」
「 ・・・ う〜ん ・・・そうだなあ あんまり好きじゃないかも ・・・ だって雨 ・・・ 」
「 ふうん? 六月って世界が一番ステキな時期じゃない?
お花もいっぱい咲いて 木々の緑も濃くなって きれいな空にぴったりの季節よ〜
本当に花嫁さんの季節 よねえ? 」
「 え ・・・ あ そ そういえば 教会じゃ結婚式が多かったっけ・・・ 」
ジョーは教会の下働きでやたらと忙しかった六月を思い出していた。
「 でしょ? ね、 この国でも同じなのね。
ぴっかぴかの六月に花嫁さんになったヒトは 幸せになれるの。
だからね、女の子は皆 六月にマリエを着たいなあ〜って憧れているの。 」
「 ・・・ マ ・・? 」
「 マリエ。 ああ ・・え〜とねえ・・・ そう、ウェディング・ドレスのこと。
ああ はやく〜〜 六月にならないかな♪♪ 」
「 ・・・・・・・ 」
随分と楽しみにしている彼女の それこそぴっかぴかの横顔を そ〜っと覗き見て・・・
ジョーはこっそり 首を捻っていた。
・・・ ずっと不思議に思ってたんだけど。
なんだってあんなじめじめした季節に結婚式、したいのかなあ・・・
それに さ。 自分が結婚するわけでもないのに ・・・
なんだって六月が楽しみなんだろう??
女の子の考えることって ・・・ ホント 訳わかんない ・・・
― そして 六月がやってきた。
「 ・・・ あら? 雨 ・・・ 」
洗濯物の籠を持ったまま、フランソワーズはテラスの前で立ち止まった。
「 ・・・ あ〜 やっぱり降ってきたか・・・ 入梅宣言、出たもんなあ・・
梅雨時は仕方ないよ。 」
ジョーも一緒になり灰色の空を見上げている。
「 ・・・つゆ? ・・・ ねえ 小雨だからじきに止む ・・・わよねえ? 」
「 う〜ん ・・・どうかなあ。 たとえ止んでもまたすぐに降ってくるから・・・
洗濯モノは今日は室内に干したほうがいいよ。 」
「 え ・・・ そうなの? わたし ・・・ できればお日様の下に干したいのね。 」
「 あ〜 でも今日は多分晴れないよ。 急ぐのなら乾燥機、使ったら。 」
「 ・・・ そう ・・・ 」
「 そうだ、外出するなら傘 必須だよ〜 」
「 わかったわ。 ・・・ 傘キライなジョーが言うのですもの、これは絶対ね。 」
「 ・・・ァ まあね ( ちぇ ヘンなことばっか覚えてるんだなあ〜 ) 」
ジョーはそれきり口をつぐんでしまった。
しかし 不機嫌になった・・・とかではなく、彼はごく普通な態度でそのまま室内干しの手伝いをしていた。
・・・ あら。 怒ってるの? ちがうの?
ヘンな ジョー ・・・ よくわからないヒトねえ・・・
あ〜〜 やっぱり室内干しは どうもねえ・・・ 何となく妙な匂いが付くし・・・
いいわ、明日ちゃんとお日様に当てて乾かしなおしましょう
「 ふう ・・・ ん ・・・ そうよね、雨もたまにはロマンチックでいい かも ・・・ 」
フランソワーズはそれでもしばらくは未練気に 空を眺めていた。
「 明日は 晴れるわ。 お洗濯は明日 やりなおせばいいわね。 」
「 ― え??? 雨?? あらもしかして。 昨日からずっと降っていたのかしら・・・ 」
翌朝 起きるなり彼女は窓に駆け寄りカーテンを払い ― 落胆した。
空は昨日とたいして変わりなく どんよりと灰色 ・・・ そしてそんな空から細かい雨粒が
舞い散っていた。
「 嵐・・・というカンジでもないし。 でも細かい雨だから平気かも ・・・ 」
彼女はそのままテラスへ出て空に手を伸ばした。
「 ・・・ 冷たい雨じゃないし。 これなら傘がなくても大丈夫かも ・・・ ね?
お買い物の時に傘があるとじゃまっけなのよねえ 」
じ〜〜っと眺めた空には 重い雲はなく、これなら午後には晴れるかも・・・と思えた。
「 そうよね。 それじゃ ・・・昨日のお洗濯物を片付けましょ。 」
気をとりなおし、彼女はぱたぱたと室内に戻った。
きっとお昼までには止むでしょ・・・
この地域は温暖な気候だ・・・って博士も仰っていたし
さ〜あ ・・ 晴れたら忙しいわよ〜〜
引き出しから真っ白なエプロンを出して、リボンをキリリと結んだ。
・・・少しは気分もすっきりした。
「 おはよう〜〜 ジョー。 」
「 ・・・ んん おはよう ・・・ 」
相変わらずもにゃもにゃ・・・ 彼は口の中で挨拶を返す。
「 雨の朝って静かでステキね。 うふふふ・・・ でも寝坊する危険もあるわねえ? 」
「 あ ・・・ う うん ・・・ 」
「 さあ〜〜 今日はお掃除もしちゃいましょ・・ 午後には洗濯物も干せるし・・・ 」
「 ・・・それはちょっと無理だな〜 今日は一日 雨 だよ。 」
「 え? まあ ジョーったら〜 わたしを驚ろかせようというの?
そんなに降り続くなんてこと ないでしょ。 」
「 あ〜 あの ね 今は梅雨だから ・・・ 」
「 はいはい そのセリフは昨日も聞きました。 さ 朝御飯の用意〜〜
今日はいろいろ・・・忙しいのよ。 」
「 ・・・ わかったよ。 ― でも 雨は止まないとおもうな・・・ 」
ジョーのぼやきに近いつぶやきは 天下の003の耳を素通りしてしまった。
003の 超・聴力は50キロ四方内だったらピンの落ちる音だって聞き分けることができる。
しかし ― 聞く気のない音は右から左へ ・・・ すっぽ抜けてしまう。
そう < お前たちはロボットじゃない > 常々博士が主張している通り! なのだ。
・・・ それでもって。 その日も終日 そめそめと雨が落ちていた。
彼女のご機嫌も急降下 ― した。
「 ウソ〜〜〜 なんで、 どうしてぇ 〜〜 」
次の日の朝、 フランソワーズはパントリー ( 食料庫 ) で悲鳴をあげた。
「 ・・・ パンが! 昨日の残りのバゲット〜〜〜 !! 」
「 おはよ・・・ どうしたの、フランソワーズ ・・・ふぁ〜〜 」
ジョーが欠伸をぼわぼわしつつ ・・・ 何事・・・ と首を突っ込む。
「 あ! ジョー!! 大変よ! もしかしたらBGの新手の細菌兵器かもしれないわ!
呼吸〜〜 止めて! 」
「 え ・・・? 」
彼女はなにやらバゲットの袋を振り回している。
「 ジョー! 博士とイワンを! あの2人は生身なんですからね!
ジョー じゃなくて 009〜 体内の酸素ボンベを使って! 」
「 ― へ?? 」
「 へ じゃないわよ! 細菌兵器よ、バイオ・はざ〜ど だわ! 」
「 ・・・ だからさあ ・・・なにが。 」
「 もう〜〜 009ったら暢気ねえ〜 こ れ ・・! 」
ずい・・・と差し出されたパンには 青いポヤポヤが点々と付着していた。
「 昨日 買ったばかりのバゲットなのに〜〜 みて!
これは・・・ BGの仕業ね、決まっているわ。 この細菌を人々の体内に入れて
外部から操作するつもりなんだわ! 」
フランソワーズは じ・・・!っと焼け付きそ〜な視線で ポヤポヤの生えたパンを睨んでいる。
「 ふん! こんなコトで この003の目を誤魔化せると思ったのかしら!?
ふん!!!! 甘くみないで頂戴!! 」
ドン! 調理台に拳骨が落ち ・・・ 少しへこんでしまった。
ジョーは ・・・ 見て見ぬフリを決め込んだ。
「 あ 黴かあ・・・ 」
「 は・・・? ・・・ か び ・・・? 」
「 うん。 このパンさあ 冷蔵庫に入れておかなかったんじゃないか? 」
「 普通 パンは冷蔵庫にはいれません。 このお家でも どこででも! 」
「 ダメだよ〜〜 この時期はね よほど注意しないと すぐにコレさ。
この湿気だもの、 パンだって冷蔵庫行き、さ。
それか一回で全部食べ切ってしまわないとね。 」
「 ・・・ これ、パン・プディング にして今日のオヤツ・・・って思っていたのに〜〜 」
「 捨てたほうがいいよ。 」
「 ・・・ だから 立派なバイオ・ハザードじゃない!? 」
「 そんなんじゃないよ。 自然現象さ、 だって梅雨だから さ。 」
「 ― また同じ言葉 ねえ ・・ 」
「 同じ言葉・・・って 梅雨なんだもの、しょうがないじゃないか。 」
「 だから! つゆ ってのを解決すればいいでしょう!? 」
「 ― はい?? 」
「 この最悪な天気を作り出している つゆ を なんとかして排除すれば!
このじめじめ や じ〜〜っとり ・・・ も解決するわ。
もしかして ・・・ 有名な <諸悪の根源 > なの? 」
「 あのね。 梅雨 って こういう気候の名称なんだ。
本州だったら だいたい 6月の初めから7月の中頃まで かなあ・・・ 」
「 え。 7月まで?? つゆ が悪さをするの!? 」
「 ・・・ だから さ ・・・ 」
ジョーは これ以上どうやって説明すればいいのかお手上げ状態だ。
フランソワーズは つゆ を撃退する気 満々なのだ・・・
「 おはよう ・・・ ん? なにを論争しておるのかね。 」
「 あ 博士 ・・・ おはようございます〜 」
「 おはようございます、博士。 」
「 うむ ・・・・ おお 今朝もまた雨かい ・・・ この時期はどうもな・・・
年寄りにはいろいろ・・・支障がでるなあ 」
博士も ちょっとばかり憂鬱そうな顔をして、とんとん腰を叩いている。
「 博士ってば・・・ 年寄り なんて仰らないで・・・
でもでも なんとかなりません? つゆ を撃退したいんです、わたし! 」
「 ・・・撃退ってそんな ・・・ 」
「 ジョーはちょっと黙っていてくださる? それで 博士! 」
フランソワーズは勢い込んで博士の前の椅子に座った。
「 うん? なにかな。 おお ありがとう、ジョー ・・・ 」
博士はジョーが淹れた朝茶を美味そうに飲んだ。
「 ・・・ うむ ・・・ 日本茶というものは奥が深いのう・・・・
こんな湿っぽい朝にも からりと晴れ上がった日にも合うなあ。 」
「 博士〜〜 ですからね、いつでも晴れて気持ちのいい朝であってほしくて。
そのためにも つゆ を、ですね〜 」
「 ああ 梅雨がどうの・・・と言っておったな、フランソワーズ。 」
ズ・・・ っとお茶を啜りつつちらっと彼女を見た。 ・・・ 博士の耳は003の耳よりも優秀らしい。
「 はい! その ・・ なんとかなりません?? この 雨!! 」
「 そりゃあ 無理というものじゃ。 人工降雨機、それも局地的なものはあるがの。
その逆はのう・・・? 」
「 あら それなら雨雲を拡散させるマシンとか? 」
「 ごく局地的にほんの短時間なら可能かも知れんがなあ
いずれにせよ、梅雨時は無理じゃよ、フランソワーズ。 」
「 え・・・ まあ 博士までジョーと同じことを仰るなんて〜〜 」
フランソワーズはすっかり膨れッ面になっている。
あれ・・・。 あは ・・・ な なんだか可愛いなあ・・・・
いっつも冷静で理知的なカンジなのに・・・
こんな表情 すること、あるんだ〜〜
あはは ・・・ くるくる表情が変わって見てて飽きないなあ
― ん? おいおい ・・・ ジョーよ、ヨダレが垂れそうな顔じゃぞ?
そうかそうか ・・・ ふふふ 頑張れ。
高嶺の花か? いいじゃないか、思い切って狙ってみろ ・・・ それがオトコだ!
ジョーはこっそり楽しんでいる ― つもりだったけれど ・・・
博士にはどうもすべてがお見通し らしかった。
「 ・・・ え〜と。 つまり じゃな、 梅雨は必要なのじゃよ。 」
「 どうしてですの? 普通の雨で作物とかは十分じゃありません?
それでなくてもこの国は よく雨が降ると思いますわ、わたし。 」
「 いや ・・・ 梅雨はなあこの国も含め東南アジア圏の稲作を中心とした農業や
果ては文化にまで 必要なのじゃよ。 」
「 ・・・ まあ ・・・ 」
「 ふふん、それはわかっていても やはり ・・・ このじめじめは なあ・・・ 」
「 博士〜〜 除湿、入れますか〜 」
ジョーがエアコンのリモコンをカチャカチャやっている。
「 そうじゃの〜 ・・・ いや 窓を全部開けて凌ぐとしよう。
のう フランソワーズ? 」
「 ・・・ 洗濯物を乾かすには 乾燥機を使いますわ。 」
彼女はぱっと席を立った。
「 あ ・・・ フラン ・・・ 朝御飯、ぼくがつくったけど・・・ 」
「 ありがとう。 でもわたし、洗濯物の処理とかお掃除とか・・・
食物にカビが生えないようにしたりしなくちゃならないから。
どうぞ お先に召し上がっていらして。 」
「 朝御飯の後にすれば? ぼくも手伝うし・・・ 」
「 それはどうもありがとうございます。 でも わたし、先にやってしまいたいの。
いつまた降り出すか わからないでしょう? 」
「 ・・・ ずっと降ってるってば ・・・ しばらくは ・・・ 」
ジョーは外をちらり、と見て肩を竦めた。
「 ・・・ あ あら そう? それなら余計に急がないと・・・・
カビだらけになったら大変ですから! 」
「 ・・・ あ ・・・ じゃ じゃあ 朝御飯は取っておくからね〜〜 」
― ばたん ・・・!
「 あ〜あ・・・ でもなんだってあんなに機嫌が悪いのかなあ? 」
「 ふむ? 彼女はこのような高温多湿な気候は初めてなのじゃないかね。 」
「 え ああ でも博士だってそうですよね? 」
「 それはそうだが。 ・・・ まあ 少し相手をしてやっておくれ。
いろいろ判らないことも多いじゃろうからなあ。 」
「 あ ・・・ は はい ・・・ 」
ジョーは博士と自分のために朝食を並べつつ ちょっと楽しい気分になっていた。
ふ ふふふ ・・・ 手の届かない・完璧な美人・・・ じゃないかも♪
ぼくは さ。 時には膨れっ面する彼女が ・・・ いいな カワイイ・・・
そんな彼を 博士は新聞の陰からにこにこと見守っていた。
カツ カツ カツ ・・・ ビシャ! カツ カツ グチョ ・・・!
「 ・・・ あ〜〜 もう〜〜 なに、この道〜〜〜 」
フランソワーズは 邸の前の坂道を降りただけでもう音を上げてしまった。
急坂が問題だったわけじゃない。 脚力には以前から自信があった。
彼女の憤懣は そのぐちゃぐちゃ・どろんこ道 が原因なのだ。
例の急坂はいわば邸の敷地内、いわゆる私道 というヤツ ・・・ 従ってほんの簡単な舗装
しかしていない。 それも道の中央部分だけ・・・
いわゆる路肩は天然自然のまま ・・・ つまり土と石ころと雑草が共存する地域なのだ。
そこに雨がしとしと降り続けば そしてそのかなりの勾配を降りてくれば ― 彼女の不機嫌の
理由はすぐにわかる。
「 うわあ〜〜 なんなの? せっかくここに来て買ったパンプスなのに〜〜 」
― グチョ。 すでに靴の中からいや〜〜な音が聞こえている。
「 それに・・・ なんなの、この雨〜〜 小降りだと思っていたのに・・・
あ〜あ・・・ スカートがしっとりしてしまったわ・・・ 」
傘を差しても 雨粒は霧状になって足元から巻き上がり ・・・衣類をぬらす。
「 もう ・・・ こんな雨、 初めてよ! ふん・・・ 」
― ビシャ・・・! 水溜りに突っ込んでしまった。
「 きゃ・・・ もう〜〜〜 !! いいわ、街で靴も服もすっきりしたの、買うわ。
それで なにか気持ちがぱあ〜〜〜っとすること、 見つけるのよ。 」
坂道下のバス停で なかなか来ないバスを待ちつつフランソワーズは一人、息巻いていた。
< ちょっと出かけてきます。 フランソワーズ >
玄関に置いてきた彼女のメモは ― まだ 誰にも見つけられていない・・・らしい。
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updated : 06,19,2012.
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********* 途中ですが
続きます。 一応 原作設定・・・でも なんか平ゼロっぽい・・・?
タイトルは さだまさし のむか〜しの曲から。 レトロっぽくて好き。